「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立(あまのはしだて)」
時代は今から1,000年ほど遡ります。
百人一首でも有名なこの歌は、平安時代に活躍した恋多き女流歌人 小式部内侍(こしきぶのないし)が詠んだ歌です。
百人一首で有名な「大江山」
この歌のエピソードは時代を超えて痛快です。改めて概要を見てみます。
小式部は、幼少の頃から歌の才能がありましたが、歌の名手だった母の和泉式部が代作しているのではないかとの噂が流されます。
ある京都での歌合せの会に参加していた小式部内侍の部屋を訪れた中納言定頼卿がふざけて言います。
「丹後にいる母(和泉式部)に遣わした使者は着きましたか?お母様のからの使いはこないのですか?
(代作の歌が届かないと)とてもじれったく不安でしかたがないでしょう?」
と言いながら部屋の前を通り過ぎようとしました。
その時、小式部は御簾(みす)より半分ぐらい出て、そっと定頼の直衣の袖を引き止めて詠みます。
それが、この「大江山」の歌です。
「大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだことはありません。(当然、手紙なんて見たこともありません)」。
”生野”と”行く”と掛け、さらに”踏みもみず”と”文も見ず”を掛けた当意即妙の歌。
通常、歌を詠んだ場合は返歌をするのが礼儀でしたが、定頼卿はこの歌のあまりの出来の良さに動揺してつかまれた袖を振り払い逃げ帰って行きました。
これにより妬みから広まった噂は消え、小式部の名声は名実ともに高まっていくのです。
男性社会にあって、痛快な一撃でした。
防災に女性の視点を
さて、話は現在に戻ります。
先日、日本橋郵便局に寄った際に、ある配布用冊子に目が止まりました。ピンクの表紙にかわいいイラスト。
タイトルは『東京くらし防災 - わたしの「いつも」が、いのちを救う』最近東京都が発行した防災関連の生活ガイドブックでした。
大地震発生時を想定したものですが、よくある防災関連冊子とは全く違い、女性の視点のみで構成されている点が斬新です。
女性でしか気が付かないような、きめ細かやで繊細な日常生活の中での防災ポイントには驚かされます。災害関連の対策会議などは男性がほとんどと聞きます。
東日本大震災から7年。もっと女性に参加してもらい女性ならではの智慧と感性を対策に活かしてもらいたいものです。