時は明治時代。日本で鉄道が開通したことと、郵便制度の発達には大きな関連性がありました。もしも鉄道がなかったら、日本のあらゆる産業の発展も遅れ、ひいては世界に大きな後れを喫していたことでしょう。
歴史を垣間見れる神奈川県立歴史博物館
ところで、横浜・馬車道駅近くの神奈川県立歴史博物館を訪問したのは約20年ぶりのこと。
国の重要文化財の指定のレトロ感溢れる建物は、旧横浜正金銀行の本店として1904年(明治37年)に建てられたものだそうです。
2階から上が展示室になっていて、大まかなゾーニングとしては、
①古代~平安時代
②中世鎌倉~室町時代
③近世 小田原・箱根
④横浜開港と近代化
⑤現代と伝統文化
に分かれており、主に民衆の生活・信仰・政治経済・外来文化の影響など、巨大模型を含めて迫力ある展示に仕上がっています。
恐らく日本の都道府県の中で、各時代ごとにこれほど劇的な歴史的変化に富んだ県も珍しいでしょう。
黒船来航(これも神奈川)以降の日本の変貌はすさまじく、まるで大河ドラマ「青天を衝け」で描かれた日本の近代化を目の当たりにするような展示の数々です。
近代ゾーンには、日本初の鉄道路線の模型や、明治天皇を乗せた「お召し列車」が新橋(汐留)~横浜(桜木町)間を往復運転した際の開業式典の写真などがありました。
日本の鉄道の開業日は1872年(明治5年)10月14日。これを見ると、日本における郵便の誕生とほぼ同時期であることに気づきます。そこで、郵便の発展にも大きな役割を果たした鉄道との視点で見ていきたいと思います。
明治の新政府は、今の汐留にあった三代将軍徳川家光時代から続く、龍野藩脇坂家・仙台藩伊達家・会津藩保科家といった大名の屋敷を収公。駅舎は、郵便制度発足の年である明治4年(1871年)に「汐留停車場」として着工(翌年「新橋停車場」と改称)。
しかし、当初は旧薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、陸海軍を統制する兵部省が時期尚早を理由に反対していたことから鉄道の敷設は難航したようです。
反対派が管轄していた海沿いの用地提供を拒まれ、鉄道建設に積極的だった大隈重信は高輪・三田の海中を埋め立てて線路を敷設したのです。
ここでも活躍!「日本郵便の父」前島密
鉄道の建設にも一役買ったのが「日本郵便の父」前島密です。計画段階から鉄道敷設の予算案作成にも尽力したのは前島であり、東京~横浜間の鉄道建設決定後すぐに鉄道の郵便利用を提唱したのも前島でした。
前島は、仮営業段階から早くも鉄道による郵便物の輸送を開始します。
もしかすると、反対派の大久保利通が推進派に変わるきっかけも前島ではないかと考えたりします。
西南戦争の際に京都で官軍の指揮を執る大久保に代わり、内務を引き受け大久保を陰で支えたという経緯があります。
いずれにしても、この電光石火のスピードが、日本の郵便事業の発展を決定づけたのです。
その後鉄道は大阪~神戸間、京都~大津間と開通し、東海道線の新橋~神戸間の全線開通へと発展。
やがて、引受した郵便物を運送・区分する専用郵便車、そして全国11箇所に鉄道郵便局が登場したと言います。
その鉄道郵便局も、交通インフラの発展によりその役割を終えましたが、近代日本を支え続けたことは間違いありません。
本年は郵便制度の発足から150年。そして鉄道も明年(2022年)には開業から150周年の佳節。SNSで世界中がリアルタイムで繋がる世の中でも、夜汽車の旅窓に先人達の思いを噛みしめたいものです。