今からちょうど800年前の1224年の鎌倉のこと。
大河ドラマ「十三人の鎌倉殿」でも脚光を浴びた鎌倉幕府の第三代執権に就いたのが北条泰時(やすとき)です。
日本史上屈指の名宰相とも言われる泰時は、初の武家法で有名な「御成敗式目(貞永式目)」を制定したことでも有名です。
これは、現実的かつ公平性が重視され、誰にでも理解できる平易な言葉で書かれており、先例や道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された極めて画期的な武家法で、江戸幕末まで永く武士の法律の手本とされました。
それを執権職に就いてたったの8年で作り上げたのです。
泰時の業績はこれだけではありません。
交通の不便な鎌倉にあって、山を拓き切通しをいくつもつくりました。例えば、朝比奈切通しは相模湾と東京湾側との往来を可能とし、巨福呂坂切通しは鎌倉北部の山を抜き中央との行き来を可能とするなど、交通の整備に努めました。
また、遠浅である鎌倉の海岸にあって、海運利用を整備するため材木座海岸に人口の和賀江嶋を築港しました。これは現存する日本最古の築港と言われます。
これらにより、鎌倉における物流は頼朝の時代とは比較にならない程の発展を見ることになります。
泰時は、激動の時代にあって、鎌倉社会の盤石な基礎を創るため足元を固めつつ遥か未来を見つめていたのでしょうか。
ところで、本年は物流業界も2024年問題があげられ、人員不足以外にもクロネコDM便が廃止、さらに秋には郵便料金が値上げされるなど、不安な要素を挙げればきりがないほどです。
激動の時代を生きる私たちは、ともすれば目の前の事象にあたふたとしがちですが、しっかりと未来を見据えて「足下を掘ればそこに泉あり」との思いで土台を築く時なのかもしれません。