初めてづくしの「日本橋」 ~ 渋沢栄一の活躍した舞台 ~

歴史と近代が交錯する人気スポット”日本橋”に行くといろいろな顔があります。歴史、ショッピング、グルメ等など。訪れる度に何かしらときめく発見があったりしますが、同時に、日本橋はいろいろと「初めてづくし」であることにも驚かされます。

日本の道の「原点」は郵便発祥の地

「日本橋」の歴史は関ヶ原の戦いの3年後、1603年まで遡ります。
江戸に幕府を開いた徳川家康の命により日本橋は架けられました。
翌1604年に五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)という日本の道の「原点」としての役割が始まります。
橋の中央に「日本国道路元標(げんぴょう)」というものが埋め込まれており、日本の道路の中心であることを示しています。
その複製が日本橋北詰(日本橋三越側)が設置してあります。
日本橋郵便局の脇を入り「海運橋」を渡ると証券会社の街「日本橋兜町」に出ます。
ここは、「証券取引の発祥の地」でもあり、日本初の銀行である「第一国立銀行(現・みずほ)」の始まりの地でもあります。そして、この日本橋で活躍した中心人物こそ、2024年発行の新一万円札の顔、そして、2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公 渋沢栄一です。

渋沢栄一が活躍した舞台

後に「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、江戸末期に埼玉の深谷の豪農家に生まれ、幕末に幕臣となり渡欧します。
明治の新政府の発足とともに欧米列強による植民地化の危機が迫る日本にとって、近代化は焦眉の急でした。

渋沢は、一旦は明治政府の役人となりますが、実業界に身を転じて500を超える会社の設立に携わりました。
東京海上保険会社や東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなども渋沢の手によるものです。渋沢は兜町を新たな時代の商業中心地とすべく、自らも私邸を兜町に移しました。そして、兜町は日本経済の中心地として発展していきます。

渋沢栄一と活躍した前島密

渋沢栄一とともに社会インフラの整備に活躍をしたのが、近代日本郵便の父・前島密です。
日本橋のほど近くにある日本橋郵便局は「郵便発祥の地」であり、旧渋沢邸のすぐ近くにあります。
渋沢は、関東大震災で自らも被災しながらも、日本の復興にも尽力したといわれます。
こうして見ると、今の私たちの生活を支えてくれる社会機構や企業が、日本橋から「スタート」したという事実に、何か不思議な感じを覚えます。

銅像は、江戸城の城門の一つ常盤橋門のところで、日本橋川沿いにある常盤橋公園にあります。
第二次大戦による金属回収で一旦は撤去されたそうですが、昭和30年に再建されました。常盤橋公園にかかる旧常盤橋も再建・オープンされました。
銅像となった渋沢栄一。日本最初の銀行である「第一国立銀行」の方角を見つめながら、今の日本をどう観ているのでしょうか。