敦煌莫高窟(とんこう ばっこうくつ)と生きた証

敦煌(とんこう)というと何をイメージするでしょう。シルクロード、仏教、美術 ctc…
中国・敦煌の名がとくに有名になったのは、20世紀に入ってからのこと。
鳴沙(めいさ)山東麓に仏教の大石窟群、敦煌莫高窟(ばっこうくつ)があり、仏洞から大量の経巻や古文書、書画の類が大量に発見されました。

仏教美術の世紀の大発見

世界の東洋学者・仏教美術の研究者に与えた衝撃はいかばかりであったでしょうか。
現存する莫高窟の壁画のほとんどには、天空を優雅に舞う「飛天」が描かれ、砂漠の中のオアシスを彷彿とさせてくれます。

ウィキペディアによると、莫高窟が作られ始めのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった355年あるいは366年とされるそうです。 その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられたとのこと。

日本では、井上靖氏の小説「敦煌」が有名。
これは貴重な経巻類の史料を元に、想像の限りを尽くした壮大な歴史ロマン小説です。
莫高窟が1987年に世界遺産に登録された翌年、1988年にこの小説が映画化されました。画面一杯に広がる莫高窟の雄姿には今でも圧倒されます。


舞台は、11世紀初頭の勢い盛んな西夏、その西夏によって滅ぼされた敦煌の町。
人生に行き詰り時代に流され生きて来た青年が、最期を覚悟した時に「歴史の流れの中に自分の生きた証を残したい」と願望します。
そして、彼が最期にとった行動とは、莫高窟の仏教経巻を隠し戦火から守るという、小さな試みでした。
自身の存在などとるに足らないものかもしれない。
しかし、莫高窟で作業する無欲の人々に接し、自分も尊いものに身を捧げることで、永遠の時の流れの中に自らの存在意義を見出したかったのかもしれません。

この小説の登場人物は架空ですが、膨大なる時を隔てての現実の大発見は、当時の無数の人々の莫高窟に込めた思いが結実したものであることは間違いないでしょう。