郵便珍話 - 郵便豆知識8 -  ★郵便やDM発送のご担当者必読

郵便珍話(DM発送代行・㈱アルファラン)

「郵便珍話」は郵便や宅配その他発送や情報通信にまつわる珍しい話や豆知識、最近の話題、一般的な疑問点などを話題にしたエピソードなどをコラム的に記載したものです。

郵便・DM発送のプロならではの視点をお楽しみください。

 

 

 

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「国のかたち」をつくった西郷・大久保・前島

西郷隆盛像

 

明治維新から150年の本年(2018年)。

「西郷(せご)どん」がNHK大河ドラマで登場し、いま「篤姫」以来の新たな鹿児島ブームが到来しています。

 

隣同士であった幼馴染の西郷吉之助(隆盛)と大久保正助(利通)が、明治維新の主役として歴史の舞台を華やかに飾るわけですが、

ご存知の通り維新後の2人は朝鮮出兵を巡る征韓論論争で対立し、最後は無二の親友だった二人が武力で衝突します。

 

西南戦争 田原坂激戦之図

明治10年(1877年)に西郷は自ら指揮した西南戦争で自刃。

大久保も翌明治11年(1878年)5月14日に紀尾井坂にて不平士族の刃に倒れます。(紀尾井坂の変)

 

ところで、大久保は暗殺されたこの日、生前の西郷から送られた手紙を持っていたそうです。

固くなまでに自らの信念に殉じた二人。

志は違えども、かつての親友の死を悼んでいたのかもしれません。

 

 

さて、ここで郵便の父・前島密が登場します。

 

前島については、この郵便珍話でも何度かお伝えしておりますが、ここでも歴史の1ページに大きな役割を演じています。

というのも、前島は大久保を支え続けた一人でもあるのです。

前島は大久保が暗殺された直後にも紀尾井坂に駆けつけています。

 

西南戦争の際は京都で官軍の指揮を執る大久保に代わり、内務を引き受けていました。

その徴募の任務も前島がこなします。 このとき機略を働かせ、官軍の勝利に貢献しています。

戊辰戦争の際に賊軍となった旧士族を即戦力として巡査隊として取りたてたのです。

薩摩への怨恨を忘れ得ない旧会津藩出身の巡査隊は、「戊辰の復讐!」と叫びながら薩軍を苦しめたそうです。

 

こんなエピソードがあります。 明治維新後、大久保が「大阪遷都」を主張した頃、ある投書が届きます。

そこには、大久保の大阪遷都論を絶賛しつつも、遷都の地としては江戸こそがふさわしいと説いていました。

実はその「江戸遷都」論の投書は前島が偽名で行ったもので、その後の大久保に大きな影響を与えたとも言われます。

 

ひとつの「国のかたち」が出来るまでの凄まじいパワーと機智。1通の手紙が現実に国を動かしていきました。

大河ドラマでもその一端が見れたならと期待しています。

 

(2018.1月)

 

 

 

四季と子規

 

昔お世話になった方に便りを出そうと、絵葉書を求めに日本橋へ。
ところが絵柄が決まらず、腕組みをしてしまいました。

と、いうのも。。。。

 

蒸れかえる地下鉄で秋の夏日を体感(大汗)したのもついこの間の話。
ところが今週は10月初旬というのに12月中旬の気候に急変。
いったい今の季節は「夏?」「秋?」「冬?」
少なくとも、「今」を的確に表現した絵柄が見当たらず、購入し損ねてしまいました。

 

秋の風景

ところで手紙は「季語」から書きはじめます。
「季語」は平安時代からあるようですが、季語が生み出す詩的な雰囲気は、四季のある日本ならではの素敵な文化であると思います。

ただ、昔は春夏秋冬の区切りが今とは違いましたし、明治期に暦が旧暦から太陽暦へ移行したことで、それまでの季語が季節に当てはまらなくなりました。

 

そして、四季の事物や年中行事などをまとめた「歳時記」が、江戸期以降に俳諧・俳句の季語を集めて分類・解説したことにより季語の基準を示した辞典のような役割を担うようになったといいます。

 

<正岡子規>

 

俳句の世界に大いなる業績を残した正岡子規は、歳時記に縛られた窮屈な俳句よりも、「あるがままのものをあるがまま」に詠むことを大切にしました。

 

正岡子規の生誕から150年(没後115年)の本年。故郷の松山でも様々なイベントがなされているのでしょうか。
この異常な気候の現代を子規が見たら、どんな句を詠まれるのでしょうか。

 

「柿くへど 鐘が鳴れども 汗流寺」

 

汗顔の至

 

(2017.10月)

 

 

 

 

密書から見える「本能寺の変」の新説

 

日本戦国の歴史の中でもひときわ謎が多く、その理由についても多くの所説を生んだ一つが「本能寺の変」でしょう。

 

史実では、天正10年(1582年)6月2日早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長は重臣・明智光秀軍に寝込みを襲われ、火を放ち自害しました。

天下が目の前にあった信長と、謀反によりそれを討った光秀。

その光秀も、中国大返しの秀吉に討たれます。

 

この劇的な歴史の転換は、時代を超えて、演劇や映画、小説でも魅力的な題材として受け継がれました。

 

この「本能寺の変」の起きた理由については以前より様々な説がありました。

明智光秀の怨恨説、朝廷関与説、中には秀吉の謀略説など。

 

ところで、本能寺に関する最近のニュースが興味深い。

明智光秀書状

明智光秀が、本能寺の10日後、紀州の武将・土橋重治(つちはし・しげはる)に送ったとみられる密書の原本が見つかったというのです。

花押(サイン)も確認でき、その筆致などから、光秀の当時の心境にも迫る史料となりそうと報じていました。

 

土橋重治とは、紀州の「反信長」のリーダー格で、手紙には信長によって追放された室町幕府最後の将軍、足利義昭の入京を承知したとする内容が記されていることから

光秀は反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたのではないかと推測できるというのです。

 

一枚の手紙が、パズルの重要なピースとなり、ミステリー化されていた歴史の溝をひとつ埋めていきます。

今回のニュースも、多くの史実を積み重ねた向こうに見える、歴史の真実にまた一歩近づいたということでしょうか。

 

(2017.09)

 

 

 

保育所がある郵便局

 

最近のニュースで、埼玉県の武蔵浦和にある「さいたま中央郵便局」で、敷地内に認可保育所の設置が正式発表されました。

JPホールディングスの子会社である日本保育サービスが元駐輪場の建物を改装し賃貸契約を結んで、既に認可申請中とのこと。

名称は「アスク武蔵浦和保育園」。来年4月からオープンとのことです。

 

日本郵便は、郵便局の空きスペースなどの利活用を事業の一環として検討しており、JR武蔵野線の武蔵浦和駅に近い立地を活かしての保育所設置に踏み切ったとのことです。

郵便局の保育園

 

いまあるインフラを活かして社会の抱える課題の解決に寄与することは大変に意義あることと思いました。

いま、子育ての環境整備の問題、特に保育所の確保は、出生率だけでなく女性の社会進出にも直結するだけに、各自治体も真剣に取り組まねばならない深刻な課題です。

 

このニュースを見て、同時に日本における郵便制度の成り立ちにも思いを馳せてみました。

 

本珍話にも何度か郵便制度の成り立ちについては掲載してきましたが、明治初期の日本という国に素早く浸透した郵便制度には、当時の社会インフラと密接な関係があります。

 

郵便制度の確立には、郵便の取り扱いを行う拠点(郵便局)を全国に設置しなければなりませんでしたが、当時の明治政府には財政的に困難でした。

その時に、駅逓頭(えきていのかみ)・前島密は、ある秘策を用います。

 

全国に制度を浸透させるために、まず地域の大地主や庄屋に対し、郵便を取り扱うことが「公務」であることを説き、それなりの礼遇をし彼らの公共精神を奮い立たせてると同時に大いに自尊心を満足させていきます。

そして、土地と建物の一部を無償で提供させ、役務を全うさせていくのです。

 

結果として、江戸の世のついこの間まで飛脚が飛び回っていた国に、明治維新後たった4年でみごとに世界に肩を並べる郵便制度を築き浸透させたのです。

なんと鮮やかな、痛快ともいえる展開ではないでしょうか?

 

明年は、明治維新から150年の佳節。

これからの日本にとって必要なこと、いまやらねば手遅れになってしまうことを、社会インフラを有する企業が真剣に考え手を打っていくならば、この国の先には鮮烈にして痛快な展開が待っているのではないでしょうか?

 

(2017.09)

 

 

 

「手紙が語る戦争」平和祈念展示

 

地下鉄の広告に「手紙が語る戦争」という企画展示の広告があり、

調べてみると、新宿住友ビル48階にある総務省委託の平和祈念展示資料館にて開催とあり、

早速足を運んでみました。

赤紙

展示は、さきの大戦において兵士や戦後強制抑留者及び海外からの引揚者の労苦について語り継いでいくことを目的としています。

少々、日本からの観点に偏りすぎるきらいはあるものの、実物資料やグラフィック、映像やジオラマを駆使して体験のない世代にもわかりやすい内容に仕上げています。

 

兵士イラスト

召集令状(赤紙)や出征を祝う色紙、また「堪たえ難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」の玉音放送で有名な「終戦の詔書」の複製など、貴重な品々の展示に、思わずのめり込んでいきました。

 

「戦後強制抑留者」のコーナーは、更に圧巻でした。 「戦後強制抑留者」とは、終戦後にソ連やモンゴルの地域に労働力として

強制的に抑留された方々をいいます。

飯盒炊飯

「ラーゲリ」と呼ばれた収容所で、マイナス数十度の酷寒の中で、一日300g程度の黒パンと水のようなスープという貧しい食事に耐えながら、

命を落とすほど過酷な労働を強いられる様は、ナチスの強制収容所を思わせるものです。

 

この抑留者にも、「俘虜用郵便葉書」というものを使って、日本の家族に手紙を書くことが許されました。

検閲があるため、最初は短くカタカナでの記載とされたようです。

 

日本に届くのに1年近くもかかったことがあるようですが、それでも抑留者にとっての生きる支えとなりました。

 

企画展「手紙が語る戦争」では、未公開の資料を中心に、戦争という時代と、その中を生きた人々が置かれた状況を映し出す数々の手紙が紹介されています。

様々な人々の間を、多くの手紙が行き交い、その数だけドラマがありました。

 

防災頭巾

その一つに、三重県津市の女性が満州の夫に宛てた手紙があります

日付は昭和20年8月14日。 翌日終戦となり、日本と満州は行き来がなくなり、その手紙は配達不能で返送されていました。

 

想像ですが、その返送された手紙が今も現存しているという意味は、そこに終戦という現実が生々しく突き付けられ、

衝撃の大きさやもう会えないかもしれない夫への思いが象徴されていたのではないかと思います。

微動だにせず、届かない思いを堪えながら、返送された封筒をじっと見つめる夫人の姿が見えるようです。

 

他にも、一人の兵士が出した150通以上の「軍事郵便葉書」の手紙が紹介されていました。

軍事郵便とは、従軍兵が駐屯地から差し出し野戦郵便局が扱う郵便のことです。

 

現代というデジタル世代にも、この「手紙」というものが持つ心の世界を、是非伝えたいものだと思います。

 

(2017.02)

 

 

「幸村」の手紙・「竜馬」の手紙

 

大きな話題になった2016年大河ドラマ「真田丸」。

CGで描かれた大阪城南方の出丸の光景に、真田ファンは心を奪われたことでしょう。

 

ところで先日、おもしろいニュースが流れました。 真田幸村(信繁)が義理の兄へ送った直筆の手紙が見つかったというもの。

関ケ原の合戦で石田三成に味方した幸村が、父昌幸と共に和歌山県の九度山に蟄居されていた頃のもので、花押も添えられており、鑑定結果も本物とのこと。

<九度山 真田庵>

<九度山 真田庵>

 

三重県にある朝日町歴史博物館によると、明治時代に手紙を所有していたある実業家の死後、約100年の間所在不明になっていたものを 県北勢に住む男性が古書店で入手し、調査・研究に役立ててもらいたいとの理由で寄贈されたそうです。

 

「年を取るのは口惜しい。去年から急に老け込み、病気がちになった。歯も抜け、ひげも黒いところはあまりない」

などとしたためられているそうです。

この手紙は、1614年の2月頃の執筆とみられるそうで、まさかあの大阪冬の陣で敵味方が仰天するような戦上手を見せた武将と同一人物とは思えない文面です。

 

もしかしたら、これも「敵を欺くには。。。」との戦術なのではないかとさえ思えてきます。

 

 

手紙と言えば、幕末に坂本竜馬が姉・乙女に送った書状が有名です。

<竜馬が姉・乙女に当てた手紙>

<竜馬が姉・乙女に当てた手紙>

「日本を今一度せんたくいたし申候」はその表現もさることながら、当時の「藩」という枠にとらわれない竜馬の大きさを感じさせてくれます。

 

この竜馬の最新の手紙が発見されたと今月13日に高知県が発表しました。

なんと、掛け軸や巻物などに加工されず、全くオリジナルな状態で保存されているのだそうです。

 

この手紙は、慶応3(1867)年11月15日に暗殺される5日前に越前藩の重臣宛てに書かれたもの。

新政府設立の財政担当者として、越前藩士の三岡八郎(後の由利公正)の派遣を求める内容で、 「三岡の上京が一日先になったら新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまう」 と「新国家」という表現を使って説得している様子がうかがえます。

 

結局、この要請が実現したときには竜馬はこの世にはいませんでしたが、書面から伝わる、国の行く末を思い奔走する人間の熱き情熱は、時代を超えて新たな感動を与えてくれます。

 

(2017.01)

 

 

 

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