歴史の研究・調査により、新たな真実が見えてくることで、私たちが学生時代から学んできた歴史像が大きく変わってきていることに気づきます。
歴史で習ったことが変わった例
例えば、
鎌倉幕府の成立は1192年(イイクニ)で習いましたが今は1185年(イイハコ)。
大化の改新は645年と習いましが、今は646年。
「これは源頼朝や足利尊氏である」と教わった肖像画は実は別人であった。
西郷隆盛の肖像画は実は想像で描いたものでぜんぜん似ていない。
などなど。
こうなると、私たちが学ぶ今の歴史は近い未来には変わっているかもしれない。
ならば、学ばない方が良いのか?などと思ってはいけませんね。
学生時代に読んだ本に、歴史を学ぶことについてとても興味深いことが書かれていました。
それは、「歴史を学ぶとは、歴史観を養うこと」とありました。
ピラミッドはどうやって作られた?
私が子供のころは、エジプトのピラミッドは「強制労働」によって作られた建造物であると習いました。教科書には、鞭で打たれながら石を運ぶ奴隷の絵まで描かれていました。
では全てのピラミッドがそうであったのか。。。
エジプトのピラミッドで有名なのは「クフ王」のピラミッドです。
時の経過の中で、多くのピラミッドは崩れ破損し原形をとどめないものもある。その中で「クフ王のピラミッド」は、もっとも原形をとどめています。
ある人はこう考えたといいます。
「ピラミッドの建造には何十年もかかる。もし、俗説のように奴隷たちが権力によって虐げられながらつくったものであれば、また、もし、人々が他から強制されてやむなく取り組んだものであるならば、何千年も長く存続できるものだろうか?」
その後、この採石場からは石工達の労働歌や王への賛歌の文字が発見されました。
そこから読み取れる労働者は、決して強制的に駆り出された奴隷とはかけ離れていて、むしろ建造に携わる事に誇りと喜びを持っていたようです。
尋常ではない熱意、緻密にして完璧な計算。そして長い時間をかけて一生懸命、心をこめて造った。それがクフ王のピラミッドであるというのが今の定説のようです。
従事する偉業、その喜び、感動。その思いが未来へのメッセージとして刻まれた採石場。
虚像は長い時間の中で崩れ、真実の思いこそ歴史の篩(ふるい)にも耐えうるのだと。
それを見抜ける目を養うこと、その時代に生きた人からのメッセージを読み取ること。それが歴史観を養うことであり、本来の歴史を学ぶ姿勢なのだと思います。