密書から見える「本能寺の変」の新説

日本戦国の歴史の中でもひときわ謎が多く、その理由についても多くの所説を生んだ一つが「本能寺の変」でしょう。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』も大ヒットしました。

光秀の目指したもの


史実では、天正10年(1582年)6月2日早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長は重臣・明智光秀軍に寝込みを襲われ、火を放ち自害しました。
天下が目の前にあった信長と、謀反によりそれを討った光秀。その光秀も、中国大返しの秀吉に討たれます。

この劇的な歴史の転換は、時代を超えて、演劇や映画、小説でも魅力的な題材として受け継がれました。
この「本能寺の変」の起きた理由については以前より様々な説がありました。明智光秀の怨恨説、朝廷関与説、中には秀吉の謀略説など。
ところで、本能寺に関するとあるニュースが興味深い。

もう数年前のこと。明智光秀が、本能寺の10日後、紀州の武将・土橋重治(つちはし・しげはる)に送ったとみられる密書の原本が見つかったというのです。
花押(サイン)も確認でき、その筆致などから、光秀の当時の心境にも迫る史料となりそうと報じていました。
土橋重治とは、紀州の「反信長」のリーダー格で、手紙には信長によって追放された室町幕府最後の将軍、足利義昭の入京を承知したとする内容が記されていることから
光秀は反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたのではないかと推測できるというのです。
一枚の手紙が、パズルの重要なピースとなり、ミステリー化されていた歴史の溝をひとつ埋めていきます。
今回のニュースも、多くの史実を積み重ねた向こうに見える、歴史の真実にまた一歩近づいたということでしょうか。