「手紙が語る戦争」平和祈念展示

終戦は1945年8月15日。しかし、この展示を観て、本当の終戦は“この日から始まった”ということを改めて知らされました。手紙というものは、その「時代」、その「時」、また、当事者にとってのその「瞬間」が止めてしまう、むしろ「永遠」につなげてしまう力があるのかもしれません。

展示会の模様


もう数年前のこと。地下鉄の広告に「手紙が語る戦争」という企画展示の広告がありました。
総務省委託の平和祈念展示資料館にて開催とあり、早速会場に足を運んでみました。

展示は、さきの大戦において兵士や戦後強制抑留者及び海外からの引揚者の労苦について語り継いでいくことを目的としたもので、少々日本からの観点に偏りすぎるきらいはあるものの、実物資料やグラフィック、映像やジオラマを駆使して体験のない世代にもわかりやすい内容に仕上げていました。

召集令状(赤紙)や出征を祝う色紙、また「堪たえ難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」の玉音放送で有名な「終戦の詔書」の複製など、貴重な品々の展示に、思わずのめり込んでいきました。
「戦後強制抑留者」のコーナーは、更に圧巻でした。 「戦後強制抑留者」とは、終戦後にソ連やモンゴルの地域に労働力として強制的に抑留された方々をいいます。
「ラーゲリ」と呼ばれた収容所で、マイナス数十度の酷寒の中で、一日300g程度の黒パンと水のようなスープという貧しい食事に耐えながら、命を落とすほど過酷な労働を強いられる様は、ナチスの強制収容所を思わせるものです。

この抑留者にも、「俘虜用郵便葉書」というものを使って、日本の家族に手紙を書くことが許されました。検閲があるため、最初は短くカタカナでの記載とされたようです。
日本に届くのに1年近くもかかったことがあるようですが、それでも抑留者にとっての生きる支えとなりました。

戦時中の手紙・届かぬ思い


企画展「手紙が語る戦争」では、未公開の資料を中心に、戦争という時代と、その中を生きた人々が置かれた状況を映し出す数々の手紙が紹介されています。様々な人々の間を、多くの手紙が行き交い、その数だけドラマがありました。
その一つに、三重県津市の女性が満州の夫に宛てた手紙があります。
日付は昭和20年8月14日。 翌日終戦となり、日本と満州は行き来がなくなり、その手紙は配達不能で返送されていました。
想像ですが、その返送された手紙が今も現存しているという意味は、そこに終戦という現実が生々しく突き付けられ、
衝撃の大きさやもう会えないかもしれない夫への思いが象徴されていたのではないかと思います。
微動だにせず、届かない思いを堪えながら、返送された封筒をじっと見つめる夫人の姿が見えるようでした。

他にも、一人の兵士が出した150通以上の「軍事郵便葉書」の手紙が紹介されていました。軍事郵便とは、従軍兵が駐屯地から差し出し野戦郵便局が扱う郵便のことです。
現代というデジタル世代にも、この「手紙」というものが持つ心の世界を、是非伝えたいものだと思います。