「幸村」の手紙・「竜馬」の手紙

大きな話題になった2016年大河ドラマ「真田丸」。
CGで描かれた大阪城南方の出丸の光景に、真田ファンだけでなくお城好きな方は心を奪われたことでしょう。

幸村の直筆の手紙

ところでこの「真田丸」が終了した翌年1月におもしろいニュースが流れました。 真田幸村(信繁)が義理の兄へ送った直筆の手紙が見つかったというものです。関ケ原の合戦で石田三成に味方した幸村が、父昌幸と共に和歌山県の九度山に蟄居されていた頃のもので、花押も添えられており、鑑定結果も本物とのこと。
三重県にある朝日町歴史博物館によると、明治時代に手紙を所有していたある実業家の死後、約100年の間所在不明になっていたものを 県北勢に住む男性が古書店で入手し、調査・研究に役立ててもらいたいとの理由で寄贈されたそうです。
「年を取るのは口惜しい。去年から急に老け込み、病気がちになった。歯も抜け、ひげも黒いところはあまりない」
などとしたためられているそうです。
この手紙は、1614年の2月頃の執筆とみられるそうで、まさかあの大阪冬の陣で敵味方が仰天するような戦上手を見せた武将と同一人物とは思えない文面です。
もしかしたら、これも「敵を欺くには。。。」との戦術なのではないかとさえ思えてきます。

竜馬が送った書状


手紙と言えば、幕末に坂本竜馬が姉・乙女に送った書状が有名です。
「日本を今一度せんたくいたし申候」はその表現もさることながら、当時の「藩」という枠にとらわれない竜馬の大きさを感じさせてくれます。
この竜馬の最新の手紙が発見されたと2017年1月に高知県が発表しました。なんと、掛け軸や巻物などに加工されず、全くオリジナルな状態で保存されているのだそうです。

この手紙は、慶応3(1867)年11月15日に暗殺される5日前に越前藩の重臣宛てに書かれたもの。新政府設立の財政担当者として、越前藩士の三岡八郎(後の由利公正)の派遣を求める内容で、 「三岡の上京が一日先になったら新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまう」 と「新国家」という表現を使って説得している様子がうかがえます。
結局、この要請が実現したときには竜馬はこの世にはいませんでしたが、書面から伝わる、国の行く末を思い奔走する人間の熱き情熱は、時代を超えて新たな感動を与えてくれます。