「時間」と「郵便」

そもそも「郵便」と「時間」は密接な関係にあります。正確な時間に郵便物を届けるため、創業当時の明治初期には全国の郵便局に時計を設置。郵便逓送員(配達員)も携帯時計を持っていたといいます。配達員の姿を見れば、街の人々は時刻が把握できたとか。
では、明治期以前の時代、江戸の町の時間はどうだったのでしょうか。

江戸期の「時間」の流れ

――江戸時代でも時間に刻まれた暮らしがありましたが、一刻(いっとき:約2時間)といったザックリした単位を使っていました。夜は高価な灯油代の節約のため、労働時間はもっぱら明るい昼のうち。
当然、夏と冬とで大幅に時間が変わる。しかし、分刻みの時間に縛られる生活ではないから困ることはない。どうやらゆったりとした「自然時間」の流れであったのでしょう。
今のような忙しい「時間」が普及したのは資本主義になってからと言われます。

ヨーロッパの産業革命が「時間労働制」を生み出し、日本の場合でいえば、明治以降に工場制度が導入されて、企業が社会経済の中心になってからのこと。
よって、いまの時間は「工場時間」であり「企業時間」といえるでしょう。
産業の発展は時間労働制とともに「鉄道」や「郵便」を生み出し、生み出された郵便制度がやがて人々の時間管理の担い手となったことは興味深いことです。

自分時間を満喫「ダウン・シフター」


ところで、一時期「ダウン・シフター」と呼ばれる人が増えているという報道がありました。
生活水準を低下させてでも自分の満足できるライフスタイル(ダウンシフト)を選ぶ人々のことで、今までの時間や数字・成果に追われる仕事から離れて、農業などをしながら最低限度の生活レベルが保てる年収の職業につく若者が続出しているというのです。

皆、その顔には人間らしい“自分時間”の過ごし方への満足感がにじみ出ていました。
電気・電波・通信の普及が「24時間制」を生み出し、グローバルな情報やEメールによって生活の時間までを圧迫された人々が、やがて「自然時間」を希求しはじめていることも、やはり興味深いことです。