郵便珍話 – 郵便豆知識12 –  ★郵便やDM発送のご担当者必読

郵便珍話(DM発送代行・㈱アルファラン)

 

「郵便珍話」は郵便や宅配その他発送や情報通信にまつわる珍しい話や豆知識、最近の話題、一般的な疑問点などを話題にしたエピソードなどをコラム的に記載したものです。

郵便・DM発送のプロならではの視点をお楽しみください。

 

 

 

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密書から見える「本能寺の変」の新説

日本戦国の歴史の中でもひときわ謎が多く、その理由についても多くの所説を生んだ一つが「本能寺の変」でしょう。

 

史実では、天正10年(1582年)6月2日早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長は重臣・明智光秀軍に寝込みを襲われ、火を放ち自害しました。

天下が目の前にあった信長と、謀反によりそれを討った光秀。

その光秀も、中国大返しの秀吉に討たれます。

 

この劇的な歴史の転換は、時代を超えて、演劇や映画、小説でも魅力的な題材として受け継がれました。

 

この「本能寺の変」の起きた理由については以前より様々な説がありました。

明智光秀の怨恨説、朝廷関与説、中には秀吉の謀略説など。

 

ところで、本能寺に関する最近のニュースが興味深い。

明智光秀書状

明智光秀が、本能寺の10日後、紀州の武将・土橋重治(つちはし・しげはる)に送ったとみられる密書の原本が見つかったというのです。

花押(サイン)も確認でき、その筆致などから、光秀の当時の心境にも迫る史料となりそうと報じていました。

 

土橋重治とは、紀州の「反信長」のリーダー格で、手紙には信長によって追放された室町幕府最後の将軍、足利義昭の入京を承知したとする内容が記されていることから

光秀は反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたのではないかと推測できるというのです。

 

一枚の手紙が、パズルの重要なピースとなり、ミステリー化されていた歴史の溝をひとつ埋めていきます。

今回のニュースも、多くの史実を積み重ねた向こうに見える、歴史の真実にまた一歩近づいたということでしょうか。

 

(2017.09)

 

 

 

保育所がある郵便局

 

最近のニュースで、埼玉県の武蔵浦和にある「さいたま中央郵便局」で、敷地内に認可保育所の設置が正式発表されました。

JPホールディングスの子会社である日本保育サービスが元駐輪場の建物を改装し賃貸契約を結んで、既に認可申請中とのこと。

名称は「アスク武蔵浦和保育園」。来年4月からオープンとのことです。

 

日本郵便は、郵便局の空きスペースなどの利活用を事業の一環として検討しており、JR武蔵野線の武蔵浦和駅に近い立地を活かしての保育所設置に踏み切ったとのことです。

郵便局の保育園

 

いまあるインフラを活かして社会の抱える課題の解決に寄与することは大変に意義あることと思いました。

いま、子育ての環境整備の問題、特に保育所の確保は、出生率だけでなく女性の社会進出にも直結するだけに、各自治体も真剣に取り組まねばならない深刻な課題です。

 

このニュースを見て、同時に日本における郵便制度の成り立ちにも思いを馳せてみました。

 

本珍話にも何度か郵便制度の成り立ちについては掲載してきましたが、明治初期の日本という国に素早く浸透した郵便制度には、当時の社会インフラと密接な関係があります。

 

郵便制度の確立には、郵便の取り扱いを行う拠点(郵便局)を全国に設置しなければなりませんでしたが、当時の明治政府には財政的に困難でした。

その時に、駅逓頭(えきていのかみ)・前島密は、ある秘策を用います。

 

全国に制度を浸透させるために、まず地域の大地主や庄屋に対し、郵便を取り扱うことが「公務」であることを説き、それなりの礼遇をし彼らの公共精神を奮い立たせてると同時に大いに自尊心を満足させていきます。

そして、土地と建物の一部を無償で提供させ、役務を全うさせていくのです。

 

結果として、江戸の世のついこの間まで飛脚が飛び回っていた国に、明治維新後たった4年でみごとに世界に肩を並べる郵便制度を築き浸透させたのです。

なんと鮮やかな、痛快ともいえる展開ではないでしょうか?

 

明年は、明治維新から150年の佳節。

これからの日本にとって必要なこと、いまやらねば手遅れになってしまうことを、社会インフラを有する企業が真剣に考え手を打っていくならば、この国の先には鮮烈にして痛快な展開が待っているのではないでしょうか?

 

 

 

(2017.09)

 

 

 

「手紙が語る戦争」平和祈念展示

 

地下鉄の広告に「手紙が語る戦争」という企画展示の広告があり、

調べてみると、新宿住友ビル48階にある総務省委託の平和祈念展示資料館にて開催とあり、

早速足を運んでみました。

赤紙

展示は、さきの大戦において兵士や戦後強制抑留者及び海外からの引揚者の労苦について語り継いでいくことを目的としています。

少々、日本からの観点に偏りすぎるきらいはあるものの、実物資料やグラフィック、映像やジオラマを駆使して体験のない世代にもわかりやすい内容に仕上げています。

 

兵士イラスト

召集令状(赤紙)や出征を祝う色紙、また「堪たえ難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」の玉音放送で有名な「終戦の詔書」の複製など、貴重な品々の展示に、思わずのめり込んでいきました。


「戦後強制抑留者」のコーナーは、更に圧巻でした。 「戦後強制抑留者」とは、終戦後にソ連やモンゴルの地域に労働力として

強制的に抑留された方々をいいます。

飯盒炊飯

「ラーゲリ」と呼ばれた収容所で、マイナス数十度の酷寒の中で、一日300g程度の黒パンと水のようなスープという貧しい食事に耐えながら、

命を落とすほど過酷な労働を強いられる様は、ナチスの強制収容所を思わせるものです。

 

この抑留者にも、「俘虜用郵便葉書」というものを使って、日本の家族に手紙を書くことが許されました。

検閲があるため、最初は短くカタカナでの記載とされたようです。

 

日本に届くのに1年近くもかかったことがあるようですが、それでも抑留者にとっての生きる支えとなりました。

 

企画展「手紙が語る戦争」では、未公開の資料を中心に、戦争という時代と、その中を生きた人々が置かれた状況を映し出す数々の手紙が紹介されています。

様々な人々の間を、多くの手紙が行き交い、その数だけドラマがありました。

 

防災頭巾

その一つに、三重県津市の女性が満州の夫に宛てた手紙があります

日付は昭和20年8月14日。 翌日終戦となり、日本と満州は行き来がなくなり、その手紙は配達不能で返送されていました。

 

想像ですが、その返送された手紙が今も現存しているという意味は、そこに終戦という現実が生々しく突き付けられ、

衝撃の大きさやもう会えないかもしれない夫への思いが象徴されていたのではないかと思います。

微動だにせず、届かない思いを堪えながら、返送された封筒をじっと見つめる夫人の姿が見えるようです。

 

他にも、一人の兵士が出した150通以上の「軍事郵便葉書」の手紙が紹介されていました。

軍事郵便とは、従軍兵が駐屯地から差し出し野戦郵便局が扱う郵便のことです。

 

現代というデジタル世代にも、この「手紙」というものが持つ心の世界を、是非伝えたいものだと思います。

 

(2017.02)

 

 

「幸村」の手紙・「竜馬」の手紙

大きな話題になった2016年大河ドラマ「真田丸」。

CGで描かれた大阪城南方の出丸の光景に、真田ファンは心を奪われたことでしょう。

 

ところで先日、おもしろいニュースが流れました。 真田幸村(信繁)が義理の兄へ送った直筆の手紙が見つかったというもの。

関ケ原の合戦で石田光成に味方した幸村が、父昌幸と共に和歌山県の九度山に蟄居されていた頃のもので、花押も添えられており、鑑定結果も本物とのこと。

<九度山 真田庵>

<九度山 真田庵>

 

三重県にある朝日町歴史博物館によると、明治時代に手紙を所有していたある実業家の死後、約100年の間所在不明になっていたものを 県北勢に住む男性が古書店で入手し、調査・研究に役立ててもらいたいとの理由で寄贈されたそうです。

 

「年を取るのは口惜しい。去年から急に老け込み、病気がちになった。歯も抜け、ひげも黒いところはあまりない」

などとしたためられているそうです。

この手紙は、1614年の2月頃の執筆とみられるそうで、まさかあの大阪冬の陣で敵味方が仰天するような戦上手を見せた武将と同一人物とは思えない文面です。

 

もしかしたら、これも「敵を欺くには。。。」との戦術なのではないかとさえ思えてきます。

 

 

手紙と言えば、幕末に坂本竜馬が姉・乙女に送った書状が有名です。

<竜馬が姉・乙女に当てた手紙>

<竜馬が姉・乙女に当てた手紙>

「日本を今一度せんたくいたし申候」はその表現もさることながら、当時の「藩」という枠にとらわれない竜馬の大きさを感じさせてくれます。

 

この竜馬の最新の手紙が発見されたと今月13日に高知県が発表しました。

なんと、掛け軸や巻物などに加工されず、全くオリジナルな状態で保存されているのだそうです。

 

この手紙は、慶応3(1867)年11月15日に暗殺される5日前に越前藩の重臣宛てに書かれたもの。

新政府設立の財政担当者として、越前藩士の三岡八郎(後の由利公正)の派遣を求める内容で、 「三岡の上京が一日先になったら新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまう」 と「新国家」という表現を使って説得している様子がうかがえます。

 

結局、この要請が実現したときには竜馬はこの世にはいませんでしたが、書面から伝わる、国の行く末を思い奔走する人間の熱き情熱は、時代を超えて新たな感動を与えてくれます。

 

(2017.01)

 

 

 

 

「桜田門外の変」に思う

 

虎ノ門ヒルズからほど近い愛宕神社は「出世の階段」でも有名ですが、最近BS朝日の「歴天」という番組で 「日本の歴史を変えた天気 桜田門外の変」が放映され、愛宕神社が幕末の歴史の舞台になっていたことを知りました。

 

そこで今回は「桜田門外の変」について少し触れます。

桜田門外之変図(蓮田 市五郎 画)

桜田門外之変図(蓮田 市五郎 画)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒船来航後の混乱期の日本の中で、幕府の最高実力者である大老の地位に就いた井伊直弼(なおすけ)は、尊王攘夷派の活動家・思想家を徹底して粛清し、福井藩士橋本左内、長州藩士吉田松陰等を刑死させ(安政の大獄)、その結果時代は急激に反幕的な空気を強めていきました。

 

そのような中、尊王攘夷急進派の水戸藩の浪士17名と薩摩藩浪士1名の計18名が立ち上がり、安政7年3月3日(旧暦)雛祭り総登城の日を狙われた井伊大老は大名行列を桜田門手前で襲撃され暗殺されました。

 

この事件は、暗殺による革命という影を引きずりながらその後の時代を大きく動かしていくトリガーになりました。

 

愛宕山からの江戸の街(1865~1866年頃)

愛宕山からの江戸の街(1865~1866年頃)

 

襲撃当日朝、この18名(桜田18烈士と呼ばれている)は、季節外れの重たい大雪の降る愛宕山で待ち合わせをした後、井伊直弼邸に近い桜田門へと向かいます。

おそらく今の桜田通りを北上、霞ヶ関1丁目の日本郵便の社屋近辺を通りながら警視庁のあたりに出たのでしょうか。

深い雪の中、午前8時に桜田門近辺に到着。江戸町民らに混じり「武鑑(ぶかん)」を手にして大名駕籠見物を装いながら井伊直弼の駕籠を待ったといわれます。

そして、通りかかった行列に襲撃を決行。

まず、一人が行列先頭にて直訴状を差し出す振りをして、行列に斬りかかる。

警護が前方に気を取られたところで仲間が駕籠めがけて短銃を発砲。その発射音を合図に、左右から一斉に斬りかかりました。

湿った雪の中、両刀に柄袋をかけ鞘袋をした護衛の彦根藩士たちは、とっさに抜刀できず思うように働けない。

奮戦はするものの、主人の首を襲撃者に預ける結果となりました。

 

ところでここで登場する「武鑑」とは何でしょう。

番組の中でも紹介されましたが、江戸時代に出版された年鑑形式の紳士録のようなものです。

多数の武家が集まる江戸において、武士と取引を行う町人達には「家」を識別する必要がありました。武鑑はそのための参考書であり、また江戸の町を訪れる人々にとってのガイドブックでした。

 

この武鑑大名や江戸幕府役人の情報が詳しく記載されています。(時期や種類により少々内容が違うようです)

武鑑(井伊直弼)

武鑑(井伊直弼)

1 .大名の姓

2 .大名の本国

3 .大名の系図

4 .大名家当主の人名

5 .大名の席次

6 .家督相続年

7 .位階

8 .正室

9 .御嫡

10.参勤

11.時献上

12.家紋

13.槍印

14.押

15.駕

16.纏

17.船印、船幕印

18.屋敷地

19.菩提寺

20.家臣

 

こういった内容です。すごい情報が開示されているものです。

番組では、この武鑑の中にはこの日の襲撃にとって重要な内容が記載されていたというのです。

ある程度の距離からでもどこの大名かが見分けられないと事をし損ずる可能性があります。

ところがこの武鑑には、槍印(行列や出陣の時に槍の印付の環に付けて家名を明らかにした標識)も丁寧に記載されています。

襲撃者達は手元の武鑑でターゲットを明確に確認できたというのです。

(住所の記載もあるので、襲撃地の検討もも容易だったでしょう)

 

今で言えば、重要人物が乗る車の車種・色・ナンバーはもちろん、ルートから警護状況までしっかりと公表しているようなもの。

個人情報の取り扱いとしては、利用する方もさせる方も最たる悪例に思えるのは私だけでしょうか?

 

(2016.9月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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